暗闇に紛れる影が、ふたつ。
 それはとても巧妙に、巨大な迷路のような庭園を駆け抜けていく。
 先頭を走るのは背の低い少年だった。焦げ茶色の髪は癖が強く元気よく跳ねており、髪と同じ色の瞳は真っ直ぐ前を向いている。とても目付きが悪いが、反して強くはなさそうな顔立ちだ。その後ろをどこか不安そうな表情の、情けない顔をした男性が追いかけていた。少年とは違って鼠色の髪に癖はない。優しそうな眼差しだが優柔不断な印象も持てる。
 少年はパーカーに長ズボンといったラフな格好だが、男性はスーツのようなきっちりとした服を着ている。動きにくそうなイメージに反して彼の動きは軽々としたものだ。
「もうちょっと、周りを警戒して行った方が……」
「あぁ? 警戒してるし、誰もいねーから行ってんの」
 男性に対して口悪く言い返した少年は、走る速度を遅めることなく庭園を突っ切っていく。目指すのはその奥、ユジニエル王国の王族たちが住まうレベーユ宮殿。
「あんまり急いでもいいことないし……ね?」
「うっせぇよ。こういうのはいかに速いかが大事なんだろ? 大体お前走るのおせーよ。盗賊のくせに」
 男性は何か言い返そうとしたが、その口は何度か開閉しただけで終わった。代わりに溜め息のように大きく息を吐いて、黙って少年の後を走っていく。
 レベーユ宮殿へ忍び込むには、この庭園を抜けなければならない。一番見つかりにくいルートは男性が彼に教えた。見つかりにくい、というだけで、見つからないわけではない。もっと慎重にいかねば……捕まれば、どう弁解しても死罪は免れないというのに。
 それなのに、どんどん先へと駆けていく彼からはまったく不安や恐怖を感じない。絶対に自分が失敗するはずがない、という異常なまでの自信しかないようだ。
「盗賊だって、いろんな人間がいてだね……。ボクは体力系じゃないんだよ……。ジャン君、君はまだギークナード入団テストの段階であって、ちゃんと目的の物を盗み出すだけじゃなくて、全ての行動やボクに対する言葉遣いもチェックに入っていて――、」
「うっせ。お前の声で見つかったらどーすんだよ。いいから黙ってろ。俺に説教すんな。俺、難しい話わかんねーし、意味ねーから」
 男性は絶句して、今度は溜め息も吐かずに肩を落とした。ジャンという少年は、自分の想像以上に育ちが悪いようだ。

 ギークナードは最近発足したばかりの盗賊団でありながら、早くも国中にその名を轟かせている。
 ユジニエルは世界一の大陸だが、盗賊の数も同じく世界一という不名誉なこともある。そのため、盗賊団に対しての処罰は他のどの国よりも重く、基本的には極刑。そして宮殿の敷地内で捕まれば即刻処刑となり、数多くの盗賊が命を落としてきた。
 レベーユ宮殿にのみ忍び込み、その中にある王家に伝わる財宝しか狙わない王家専門の盗賊団『ギークナード』。だが、その団員は誰一人見つからず、処刑もされていない。実際の成功率はさほど高くないが、捕獲されていないという事実がギークナードを有名にした。
 その盗賊団に突如現れた入団志望の少年がジャンだった。どうやってここまで辿り着いたのかと訊けば、「変な女が教えてくれた。知らない奴」と答えたために団員たちはどよめいた。最初は追い返すつもりだったが、
「お城にはティーって名前の女の子がいる。その子に会いたいんだ」
 その言葉を聞いて、団長は彼に入団テストを言い渡した。
『王家に伝わる〝スプリング・エフェメラル〟を盗むことが出来れば、正式な団員として認めよう』
 その入団テストに同行するのは、実行班ではなく作戦班のロン。三十二歳だと律儀に教えていた。大人しく、真面目すぎる彼をジャンは先輩として敬っている様子はない。
 決行はジャンがギークナードを訪れた四日後、新月の夜だった。

 庭園を抜けたのはそれから少し後のこと。宮殿内部へ忍び込むための抜け道もちゃんと彼に教えた。順調にいっている、順路も頭に入っているようだ。
 今回のターゲットは〝スプリング・エフェメラル〟。これについてはジャンに調べさせた。
(――抜け道から内部に入って)
 ロンは気付いている。胸に不安が少しずつ広がっていく。ジャンはどうだ?
(――樹々の回廊と、泉の中庭を抜ける)
 周りの確認か、走りを遅めることはある。それでも一切止まることなく彼は進んでいく。
(――歴代の王の肖像画が飾られているプロムナードの先。左右に分かれている廊下を右に進む)
「ジャン君、おかしいと思わないか?」
「おかしいって……お前の体力のなさ?」
「ボクのことじゃなくてだね……」
 息を切らしてはいないが、顔色は悪く、疲れているのは見てすぐにわかる。先程より速度は遅く、気を抜けばジャンに追いつけないだろう。
(――右に進んで、三つ目の扉を開ける)
「誰の気配も感じられない、こんなに警備が薄いんだ、おかしいだろう?」
 ロンの説明に、ジャンは笑って返した。
「じゃあラッキーだな。簡単にテスト終了しそうだ。よかったな、ロン」
「え、は?」
「なんだよそんなことかよ。あーあ、聞いて損した」
 こんなにも易々と忍び込める、その異様さを何とも思わない。目的地に何が待ち受けているのか、それこそ、張り巡らされた罠によって即死してしまうような事態があるかもしれない。けれどジャンには最悪の状態を考えている雰囲気はない。
(――三つ目の扉を開けて)
 もしもの時は、一人でも逃げられる状態にしないと。――例え一人を囮にしても。犠牲にしても。
(――〝スプリング・エフェメラル〟。空想の花が主題の絵画は、その部屋に飾られている)
 部屋の中は薄暗くて、かびた臭いが充満していた。木製の古びたテーブルと椅子には、うっすらと埃が積もっている。
 その部屋の壁に、確かに絵画が飾られていた。ロンが携帯用のライトでそれを照らすと、薄緑の花の絵が認識出来た。